2012年 05月 10日
闘牛を見て... |
またまたご無沙汰な投稿です。
バレンシア旅行から2か月近く経っていますが、もう一度バレンシアネタです。
スペインに行くならば是非見たかった闘牛。
出発間近になり、まわりの人に聞いたら動物愛護の反対で去年で闘牛は
廃止になったとのこと。
それならそれで仕方ない。
ならば闘牛場だけでも見ておこう!と向ったら何やら騒がしい。
切符売り場まであるし、ダフ屋もいる。
切符買いに挑戦したらあっけなく買え、そのまま入場。
見れると思っていなかった闘牛を見ることになった。
円形型の闘牛場は一応一人ずつ席が決められており、ぐるぐるまわり
やっと席についたらもう始まっていた。
TVでしか見たことのなかった風景が今、まさに目の前に。。。
闘牛場内を見て感激したのもつかの間。感動と衝撃とショックで
言葉を失ってしまった私たち。
牛が放たれ、マタドールの弟子と牛が戦い、数本の剣が刺される。
それから武装(というか牛の角から馬の体を保護したような)馬に
乗った年配の騎士が牛を一撃、すると騎士達は退散。
それからやっとマタドールの登場。
マタドールは牛としばらく戦い、最後のとどめを刺す。
死んでしまった牛は見せ物になり、馬車で引かれて退場。
この間、場面に合せてブラスバンドの生演奏入り。
それからまた次の牛の登場で、同じことの繰り返し。
まるで水戸黄門のような決まりきった展開。
マタドールが一突きで殺すことが出来たときの観客の喜び様はなかった。
老若男女のバレンシアンは座布団(もどき)をふって大喜び。
そんなマタドールは英雄扱い。
さすがにマタドールの衣装はさることながら、威風堂々とした
立ち居振る舞いにはほれぼれさせられる。
私の隣で大声で喜びの声を上げていたおばちゃん達を目にして
複雑な気持ちになった。
しかし、よくそんな喜んでいられるな〜と軽蔑的には見ていなかった。
今、闘牛は数百年と続くスペインの伝統国技であるから廃止するな。
という意見と、大衆の前で牛を剣で刺していき、残酷だから廃止!
という意見で対立している。
バルセロナがあるカタルーニャ州は去年廃止になったとのこと。
これから闘牛がどうなるか分からない。
ただ、闘牛が始まり牛が放たれ、元気があり余った(獰猛というのか)
牛が場内を走り回り、たまに見てとれたマタドール弟子にジャレている
ような仕草や、死ぬ直前、頭をフラフラし、もうろうとしているだけ
なんだろうけど、獰猛だった牛の顔は、今まで飼育してくれた飼い主を
探しているようにも思え、せつなくもなった、、、
すっかり暗くなり、闘牛が終わってしまったら闘牛場が開け放たれ、自由に観客も
入ることができ、写真撮影などしたり、マタドールのマネをして戯れたりする子供
もいっぱいいた。私たちも写真でもと思って、地面を見ると血痕があったりする。
それから、これはTVでも見たことがあったが、
死んだ牛たちは闘牛場内にある解体場で解体され肉屋の車で運ばれてしまう。
そんな様子も私たちから見ようと思えば見える場所にあったりします。
人間って本当に残酷だなと思うが、
私には闘牛がいいとも悪いともいえない。
ブログの締めくくりに、”食べること”になって、
なんて自分は卑しいのかとも思うが、
正直、毎回の食事で何気なく口にしている「いただきます」の本当の意味を
改めて考え、いつも気にとめておくきっかけにはなった。
いただきます。とは命をいただくこと。
悲しいことに、この言葉の意味を知らない輩が多い昨今であります。。。
バレンシア旅行から2か月近く経っていますが、もう一度バレンシアネタです。
スペインに行くならば是非見たかった闘牛。
出発間近になり、まわりの人に聞いたら動物愛護の反対で去年で闘牛は
廃止になったとのこと。
それならそれで仕方ない。
ならば闘牛場だけでも見ておこう!と向ったら何やら騒がしい。
切符売り場まであるし、ダフ屋もいる。
切符買いに挑戦したらあっけなく買え、そのまま入場。
見れると思っていなかった闘牛を見ることになった。
円形型の闘牛場は一応一人ずつ席が決められており、ぐるぐるまわり
やっと席についたらもう始まっていた。
TVでしか見たことのなかった風景が今、まさに目の前に。。。
闘牛場内を見て感激したのもつかの間。感動と衝撃とショックで
言葉を失ってしまった私たち。
牛が放たれ、マタドールの弟子と牛が戦い、数本の剣が刺される。
それから武装(というか牛の角から馬の体を保護したような)馬に
乗った年配の騎士が牛を一撃、すると騎士達は退散。
それからやっとマタドールの登場。
マタドールは牛としばらく戦い、最後のとどめを刺す。
死んでしまった牛は見せ物になり、馬車で引かれて退場。
この間、場面に合せてブラスバンドの生演奏入り。
それからまた次の牛の登場で、同じことの繰り返し。
まるで水戸黄門のような決まりきった展開。
マタドールが一突きで殺すことが出来たときの観客の喜び様はなかった。
老若男女のバレンシアンは座布団(もどき)をふって大喜び。
そんなマタドールは英雄扱い。
さすがにマタドールの衣装はさることながら、威風堂々とした
立ち居振る舞いにはほれぼれさせられる。
私の隣で大声で喜びの声を上げていたおばちゃん達を目にして
複雑な気持ちになった。
しかし、よくそんな喜んでいられるな〜と軽蔑的には見ていなかった。
今、闘牛は数百年と続くスペインの伝統国技であるから廃止するな。
という意見と、大衆の前で牛を剣で刺していき、残酷だから廃止!
という意見で対立している。
バルセロナがあるカタルーニャ州は去年廃止になったとのこと。
これから闘牛がどうなるか分からない。
ただ、闘牛が始まり牛が放たれ、元気があり余った(獰猛というのか)
牛が場内を走り回り、たまに見てとれたマタドール弟子にジャレている
ような仕草や、死ぬ直前、頭をフラフラし、もうろうとしているだけ
なんだろうけど、獰猛だった牛の顔は、今まで飼育してくれた飼い主を
探しているようにも思え、せつなくもなった、、、
すっかり暗くなり、闘牛が終わってしまったら闘牛場が開け放たれ、自由に観客も
入ることができ、写真撮影などしたり、マタドールのマネをして戯れたりする子供
もいっぱいいた。私たちも写真でもと思って、地面を見ると血痕があったりする。
それから、これはTVでも見たことがあったが、
死んだ牛たちは闘牛場内にある解体場で解体され肉屋の車で運ばれてしまう。
そんな様子も私たちから見ようと思えば見える場所にあったりします。
人間って本当に残酷だなと思うが、
私には闘牛がいいとも悪いともいえない。
ブログの締めくくりに、”食べること”になって、
なんて自分は卑しいのかとも思うが、
正直、毎回の食事で何気なく口にしている「いただきます」の本当の意味を
改めて考え、いつも気にとめておくきっかけにはなった。
いただきます。とは命をいただくこと。
悲しいことに、この言葉の意味を知らない輩が多い昨今であります。。。
by twill-twill
| 2012-05-10 03:27
| 旅